『わたし』
上甲 尚弘
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『インターネットが普及し、私たちの情報がネット上で拡散されている。この情報は私そのものであり、私だ。私はその中に存在している。ここにいる私が本物の私ではあるが、世間からすると、ネット上に存在する私の方が私だ。情報は誰でも操作できる。そして、操作された情報はすぐに拡散される。私の情報にあなたの名前がのるだけで、あなたは私になることもできる。逆もしかり。私はとても曖昧で、とても希薄な存在のように思う。』 というテーマをもとに、私が感じている今を、私を通して表現しました。 ネットの社会は怖いけれど、使ってみるとその便利さや楽しいという感情が生まれます。 未知のものを作品では怖さを前面に押し出すのではなく、明るさを表現したかった。それが、私が感じているネット社会の今だと思うからです。 怖いけれど、どこに向かっているのかこの先も見ていきたいと思います。 怖さに鈍感な自分がいます。怖いと世間はいうけれど、使ってみるとその便利さや楽しさが感じられる。怖さに鈍感になっている。